
インドに行ったら価値観が変わる。
インドを旅行した人たちは皆口々にそう言いますよね!
なぜインドに行くと価値観が変わるの?と思う方も多いのではないでしょうか。
それはインドには我々と全く異なる生き方、風習、制度があり、必ずと言っていいほどカルチャーショックを受けてしまうからです。
そんなインドを形作ったのはヒンドゥー教の影響がかなり大きいと思われます。
ヒンドゥー教には瞑想、ヨガ、有名な神話の数々など不思議な魅力がたくさんあります。
しかし、そんな有名なヒンドゥー教ですが、どのようにして生まれたのかを知っている人は少ないと思います。
今回はヒンドゥー教の基礎知識と成り立ちについて紹介したいと思います!
ヒンドゥー教とは

もともとヒンドゥーは川を表す言葉であり、インダス川を指すシンドゥがペルシアに伝わりインドを意味する言葉になったと言われています。
インドでは人口12~13億人のうち約8割がヒンドゥー教を信仰しています。
しかしながら、ヒンドゥー教とはどう言ったものを指すのかという問いには数多くの議論がなされています。
ヒンドゥー教は世界創造の神話から生活のルール(食事、住居、階級、婚姻など)とあらゆる記述がされており、範囲が広すぎるからです。
ヒンドゥー教は多神教のため絶対的な神が存在するわけでもありません。
キリスト教でのイエスのような開祖もいません。
ヒンドゥー教では神=世界=人間です。
神がいて、宇宙の根本原理「ブラフマン(宇宙の全て)」があり、人間の中には「アートマン(自我)」があります。
そして、それらは同一のものであるというのがヒンドゥーの考え方です。
キリスト教では神と人間が縦の関係であるのに対し、ヒンドゥー教では神と人間は横の関係、すなわち神=人間となるのです。
それでは、このヒンドゥー教がどのようにして誕生したのか、その歴史を紹介します!
インダス文明期

紀元前2500~紀元前1500年頃にインダス川流域にドラヴィダ系言語を話す民族が文明を築きました。
ドラヴィダ系言語とは現在も南インドやスリランカで話されていると言われる言語です。
彼らのシンボルに刻まれた像や遺跡の彫像から多神教だったと推測されています。
その中には現代に伝わるヒンドゥー教の神であるシヴァの原型と思われる神像を刻んだシンボルも発見されました。
そのシヴァと思われる神の頭上にはシヴァの武器である三叉戟のような角も描かれていたそうです。
また、インダス文明のテラコッタ(素焼きの焼き物)には7人の女神が描かれており、これがのちのヒンドゥー教七母神となったと言われています。
このようにインダス文明の時代からヒンドゥー教の原型がすでに形成されていたようです。
ヴェーダ期 バラモン教

紀元前2000年頃から紀元前1500年頃にカスピ海と黒海に挟まれたカフカース地方の北部からアーリア人がインドへ侵入しました。
彼らはその時代にあった祭式について数々の文献を残し、それが「ヴェーダ」と呼ばれています。
ヴェーダとは「知識」という意味で、バラモン教とヒンドゥー教の聖典と言われています。
ヴェーダには4つの種類があります。
- リグ・ヴェーダ
- サーマ・ヴェーダ
- ヤジュル・ヴェーダ
- アタルヴァ・ヴェーダ
そして、これらヴェーダは4つの部門で構成されています。
- サンヒター(本集):本体部分
- ブラーフマナ(梵書):祭式の手順、神話
- アーラニヤカ(森林書):祭式の手順細目、神話の解釈
- ウパニシャッド(奥義書):秘儀、秘説
今回は4つのヴェーダについて紹介していきます。
リグ・ヴェーダ

リグ・ヴェーダは紀元前1200〜紀元前1000年頃に記述されたとされるヴェーダのうち最も古い文献です。
リグ・ヴェーダはアーリア人によって行われた祭式で謳う神への賛歌が記されています。
火の神アグニや英雄神インドラといった神たちです。
アーリア人は神への賛歌を謳うことで神の力を自由に操ることができると信じていました。
この神への賛歌を「ブラフマン」と呼び、ブラフマンを使える祭官を「ブラーフ・マナ」「バラモン」「バラモン僧」と呼びます。
このことからヴェーダに基づく宗教をバラモン教と呼ばれたりもします。
サーマ・ヴェーダ

サーマ・ヴェーダはリグ・ヴェーダと同様に神への賛歌について記された聖典です。
この聖典には歌詞があり、また、旋律に乗せて謳われたと言われています。
内容もリグ・ヴェーダからの引用が多かったようです。
ヤジュル・ヴェーダ

ヤジュル・ヴェーダはマントラと祭式の説明を記載した文献です。
マントラと祭式の説明が混在している文献を「黒ヤジュル・ヴェーダ」、それぞれを別に扱っている文献を「白ヤジュル・ヴェーダ」と呼んでいます。
アタルヴァ・ヴェーダ

アタルヴァ・ヴェーダは今までの3つのヴェーダとは少し異なり、神への賛歌ではなく、主に呪文について記された文献を言います。
この呪文の中には健康や長寿に関する呪文もあり、それが現代ではインド伝統医学「アーユルヴェーダ」として伝えられていると言われています。
このアタルヴァ・ヴェーダは他3つのヴェーダと大きく異なることからヴェーダと認められるまでかなりの時間がかかったそうです。
ヒンドゥー教の現れ

ヴェーダ期には勢力を広めたアーリア人でしたが、徐々に勢力を弱め次第に東インドへ移動していきます。
そして、アーリア人は非アーリア(他民族)との交流も増えていきました。
そのため、アーリア人が築いたバラモン教文化は非アーリアの影響を受けながら新しい文化へを変化していきました。
この文化がヒンドゥー教だと言われています。
そして、ヒンドゥー教について記載された文献を「マヌ法典」と言います。
マヌ法典

マヌ法典は紀元前2世紀~紀元2世紀に編纂されたと言われる法典です。
全12章からなるこの法典は宇宙論、生活規則、輪廻に至るまで幅広く記載されており、インド人の生活に大きく影響を及ぼしたと言われています。
全12章を簡単にまとめてみました。
- 第1章:世界創造
- 第2章:ダルマ(法)の源泉 入門式 学生期
- 第3章:婚姻 祖霊祭 日常儀礼
- 第4章:沐浴 ヴェーダ学習
- 第5章:食事
- 第6章:林住期 遊行期
- 第7章:王の行動
- 第8章:罪についての規定
- 第9章:夫婦について
- 第10章:ヴァルナについて
- 第11章:バラモンの有する刑罰
- 第12章:輪廻
ヴァルナ制度

マヌ法典第10章にもあるようにバラモン教・ヒンドゥー教にはヴァルナ制度という4つの身分階級がすでに存在していました。
この身分制度がインドでかなり大きく影響を及ぼしました。
ここではこのヴァルナ制度の誕生について触れたいと思います。
マヌ法典の第1章には世界創造について語られています。
そこでは創造神が暗黒を破り、宇宙と5大元素などを創造したとされました。
その創造神がかの有名なブラフマーです。
ブラフマーは創造物を守るために口からバラモンを、腕からクシャトリアを、腿からヴァイシュヤを、足からシュードラを造りそれぞれに役割与えます。
それぞれの役割について下記にまとめました。
- バラモン:最上位 司祭
- クシャトリア:戦士
- ヴァイシュヤ:庶民 農業・商業・製造
- シュードラ:隷属民 上記3階級への奉仕
この4つの役割がヴァルナ制度となりました。
そして、このヴァルナ制度がのちにカースト制度へとなっていくのです。
ヒンドゥー教の成り立ちについて、今回はここまでとしたいと思います。
最後に
いかがだったでしょうか?
今回はヒンドゥー教の成り立ちについて紹介しました!
宗教の歴史は掘り下げていくととても面白い話がたくさんありますよね。
そしてインドにはまだまだ魅力的な要素がたくさんあります。
今後もインドについて紹介していきますのでよろしくお願いします!